本シリーズでは、健康に関する考え方と生活習慣について、統一原理の観点から解説します。
食事は「神事」
十一月二十三日「勤労感謝の日」は、戦前「新嘗祭」として祝われていたことをご存じでしょうか? 「新嘗祭」とは毎年、天皇陛下が天照大御神をはじめとする神々に五穀豊穣を感謝する皇室行事で、二十三日の夕方に神膳を供え、天皇自らも食事をともにします。
戦後、皇室の宗教行事が国民の祝日であることを嫌ったGHQによって、「勤労感謝の日」に変えられました。
七面鳥で有名な米国の「感謝祭(サンクスギビングデー)」も祝日で、十一月第四木曜日に行われます。これは一六二〇年に上陸したピルグリム・ファーザーズが、翌年、最初の収穫物を持って教会に集まり、感謝の礼拝と食事会を持ったことが起源と言われています。
これに関連して、日本のプロテスタント教会では十一月の第四日曜日を「収穫感謝の日」として、信徒らが万物を教会に持ち寄り、礼拝を捧げています。
このような伝統の本質は、"万物は天から頂いたものなので、まずは天に感謝してお捧げしたうえで、人間が頂くべき"という考え方にあります。しかし、現在、特に先進国ではその趣旨が完全に見失われてしまっています。
食事は「親事」
真のお父様はサケを本当に愛しておられます。そのサケに関して、「アラスカは気候が寒いために昆虫もいないので、彼らの子供が食べる物がありません。ですから、母親が死んだのち、自分の体を子供たちに食べさせて育てるというのです」(天一国経典『天聖経』615ページ)と述べておられます。
自然界にはこのような事例がいくつもあります。『生き物の死にざま』(草思社)にはハサミムシの母親の話が紹介されています。石をひっくり返すと、その下にある卵を守ろうとハサミを振り上げて威嚇してくる、あのハサミムシです。
メスのハサミムシは卵を産んだ後、卵を守るためにその場を片時も離れることがありません。卵がかえるまでの四十日から八十日間、飲まず食わずが続きます。ようやく卵がかえる日を迎えると、自力で餌を獲れない幼虫たちに自分の柔らかいおなかを餌として差し出し、最後を迎えるのです。
言葉にできない凄絶な自然界の摂理です。
しかし考えてみれば、人間のお母さんも自分の血と骨を胎中の赤ちゃんに提供しているのであり、さらには左(囲み)のみ言からすれば、天の父母様である神様はご自身の象徴的な実体対象である万物を子女である人間に食べさせておられるとも言えます。
「ご飯は愛である」と言うときの愛とは、まさしく親の愛であり、特に母の愛であると言えるでしょう。
さらに前号でお伝えしたとおり、食材は万物が命を犠牲にした結果物ですから、「ご飯は命である」とも言えます。
これを授受作用の観点で見ると、親は子供のために自らを犠牲にしてご飯を「よく与え」、子供は親への感謝と万物への感謝を込めて「よく受け」れば、愛の力と命が発生するということになります。
ところが、すでに「よく与え」られている万物を、人間が「よく受け」ていないことに問題があります。
食事は、天に捧げるように 親が子供に食べさせるように
さて、「原理」によれば、神様の心情と一体となった人間の体は神様の体と言えます。「聖殿」です。教会の祭壇、家庭の祭壇に供え物を捧げるように、自分という「聖殿」に万物を捧げるときに、食事は「神事」となります。まさしく神人一体の境地であり、「よく受け」ることの至高の形です。
さらには、親が子供の成長と健康のためにご飯を食べさせるように、神人一体となった心が、体のためを思ってご飯を食べさせるように食事をすることも同様の境地といえるのではないでしょうか?
それでは具体的にどのようなことを心掛けて食事をすればいいでしょうか?
それは、食事の意義を深めることです。
その1 「ながら食い」を見直す
家庭連合の教会員は食事を作る前と食事を頂く際に必ず感謝の祈祷を行うという素晴らしい習慣を持っており、食事は神事であることを理解しています。また一週間の成約断食の明け食を通して、一杯のおかゆのありがたさを骨身にしみて味わう体験もできています。
ところが、肝心要の普段の食事中は、テレビやスマホを見ながら食べることが多いのではないでしょうか? これでは「口では『感謝している』と言いながら、ご飯よりもドラマやニュースが大事なのか」とご飯から讒訴されてもしかたありません。
ご飯を愛しているとは言えないわけですから、ご飯から美(満足感・幸福感・栄養)が返ってくることは乏しく、かえって心身共に不健康になってしまいます。
作ってくれた人の心情を蹂躙したことにもなり、作った人も、〝また、おいしいものを作ってあげよう〟とは思いにくいはずです。
いわゆる「ながら食い」は、飽食の現代社会では当たり前になっていますが、一日の中で一食だけ、食事に集中してみるのはいかがでしょうか。よく「一口三十回程度、かむと健康にいい」と言われています。また食べる時間のめどとして二十分程度を意識すると、結果的によくかんで味わうことができます。この二十分という時間はタニタ食堂で推奨されているものです。
食事に手間ひま、お金をかけることは無価値なことでしょうか?
それとも本然の価値があることでしょうか?
親なる神様と
作ってくれた方に感謝を
命を捧げてくれた万物に
畏敬の念を
あなたの食べ方で
表してみませんか。
次号でも食事の話が続きます。(本部衛生委員会)
※タニタ食堂とは、体組成計や活動量計、クッキングスケールなどの健康計測機器の製造・販売会社タニタによって運営されているレストランです。もともとは社員食堂でしたが、健康的なメニューが話題となり、全国で一般向けに展開されています。
(み言引用)
神様を直接愛する前に、皆さんの足先から、皆さんが食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆さんの体を愛さなければなりません。万物を愛することによって万物の要素を吸収し、「私」の体を愛するようになるのです。皆さんの第一の父母は皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は、地球です。この地です。皆さんは地から、皆さんの肉身が大きくなるように要素を供給されたのです。(天一国経典『天聖経』656ページ)
(お知らせ)
本部には衛生委員会が設置されています。衛生委員会とは、職員の健康の保持・増進や職場環境の改善のための調査・審議を行う場です。「労働安全衛生法」に基づいて、一定の規模の事業所に設置が義務づけられています。各教会では、これに準じる組織として「健康・福祉委員会」の設置を進めています。
記事元:「世界家庭」2021年1月号
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