食卓に並んだ昼膳を前に、目を閉じて両手を合わせる。食事ができることを心から感謝して、言葉にする。
「いただきます」
今朝、鰹節から出汁をとって、丁寧に味噌をこした野菜たっぷりの味噌汁を一口すする。喉を通って胃に流れていくだけでなく、体中に染み渡る感覚に、思わず吐息が漏れる。大根の煮物を口に運び、30回噛み続けると、大根に染みた出汁の味と旨みが口いっぱいに広がる。
「おいしい」
ワンルームの静かな部屋に、呟き声がぽとりと落とされた。食事に感謝しながら食べる生活を続けて一年程経つ。以前はテレビを見ながら、コンビニやスーパーの惣菜を買って早食いをしていた。こんなにも変化したことに自分でも驚いている。
「ごちそうさまでした」
お気に入りの猫の箸置きに箸を置き、両手を合わせる。食事が映えるようにと揃えた陶磁器の食器を、なるべく音を立てないように重ねてシンクに運ぶ。洗剤で手が滑らないよう注意しながら、泡のついたスポンジでゆっくり食器を洗っていく。ひとつひとつの食器にありがとう、と心の中で声をかけながら洗い、泡を流してよくすすぎ、拭いていく。
丁寧な所作は心がけようと思っても一朝一夕に身に付くものではない。一年間の精誠の積み重ねである。精誠を積むきっかけとなったのは、突如として襲ってきた病だった。
食後、買い物がてら寄った公園には、午後の暖かい日差しの中、子供達が砂場や遊具で遊んでいる。ベビーカーで散歩している親子や、ベンチで休んでいる妊婦さんが思い思いの時間を過ごしている。
人生で一番の苦悩と変化をもたらした病の後、もう子供は産めないという現実に打ちのめされ、ベビーカーの赤ちゃんや妊婦さんを見るだけで涙が止まらなかった。神様に愛されていることを知った今は、病も、子供を産めない現実も乗り越え、前向きに生きられるようになれた。
過ぎてみれば、すべては神様の愛だったー。
このみ言を実感できた20代の経験が、人生の大きな糧となり、人を愛せる私へと変えてくれた。