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手術までの期間、職場に病のことを報告し、長期休暇をもらったり、診断してもらった産婦人科クリニックから紹介された大学病院に転院して、主治医から手術の説明を受けて、入院の準備を整えたりと、思ったより時間の余裕がない日々を過ごした。

 

忙しい合間を見つけては神様に祈りを捧げ、心の準備も整えることができた。明も毎日メールで気にかけてくれて、週末は毎回会いに来てくれた。お祈りと明のおかげで、手術に対する不安は薄れ、思ったより穏やかな気持ちで手術当日を迎えることができた。

 

後は神様に全て委ねます。どうか、お守り下さい。

 

麻酔が効いていくなか祈りを捧げ、少しずつ意識が遠退いていった。

 

 

手術は成功し、目を覚ました時には病室のベッドの上だった。

 

突然、お腹の辺りがズキズキと痛み出し、次第に痛みが増していく。耐えられないほどの痛みではないが、不快な痛みに苛まれ、思わず顔をしかめる。

 

でも、痛みを感じているということは、生きているということだ。

 

ああ、無事に手術が終わったんだ。神様、ありがとうございます。

 

 

目を閉じて感謝を伝える。そして、手をそっと子宮のあった位置に持っていく。

 

もう、ないんだ。

 

覚悟はしていたつもりだったが、心にぽっかりと穴が空いたような虚無感にかられ、ツーと頬を一筋の涙がこぼれていった。

 

 

神様、神様、神様……。

 

 

うっすらと目を開けると、暖かく眩しい光が目の前に迫り、目を開けていられなくなる。ふわっと何かに抱かれるかのような感覚がして、あまりの心地好さに眠くなってきてしまうほどだった。ふと耳元で、中性的な落ち着いた声が囁いてきた。

 

「よく頑張った。私の愛する子よ、この先もあなたなら乗り越えられる」

 

はっとして目を開けると、光は消えていた。辺りを見回しても隣のベッドとはカーテンで仕切られているので何も見えない。窓も見えないので、先ほどの光はどこから入ってきたのか分からない。それに、あの囁き声は誰のものだったのか。もしかして神様?

 

夢を見ていたのかもしれないが、それでも神様が会いに来てくださったと思うと、ぽっかり空いてしまった心が神様の愛で埋まっていき、満たされた気持ちになった。

 

退院後は抗がん剤治療を行いながら、自宅で安静の日々を過ごした。副作用によって体の不調に悩まされ、術後の痛みもあり、思うように体を動かせず、食事も満足にとることができなかった。トイレに行くのもやっとの生活だったが、明が週に3回も様子を見に来てくれ、食べられそうな食事を作ってくれたり、掃除をしてくれたり、親友を通り越して母親のように色々なことをやってくれた。

 

「明、ごめんね。仕事も忙しいのに、頻繁に来てもらって面倒かけちゃって……」

 

「謝らないでよ。私がやりたくてやってるんだから。お粥、少しは食べれそう?」

 

まだ7分粥しか食べられず、量も1日茶碗一杯食べるのが精一杯だった。

 

「うん。少しなら。作り置きしてくれるから助かる。明は良いお母さんになるよ。結婚したら絶対結婚式呼んでよ」

 

「もちろん。スピーチお願いしちゃおうかな」

 

「えー、それは恥ずかしいな」

 

明のおかげで動けない体でも悲観的にならず、笑顔で話すこともできている。

 

「まだ26歳って思ってたけど、同級生で結婚してる人、もう何人かいるらしいよ」

 

「あー、そうだよね。職場の後輩も2歳年下なのに結婚するって言ってたなあ。明もそろそろ考えてる?」

 

「うーん、まだ実感わかないかな。今の仕事楽しいし」

 

「仕事、か。長期休暇もらったけど、復職するのちょっとこわいんだよね」

 

「どうして?」

 

「だって、休んでる間に仕事内容も変わってるかもしれないし、私の分の仕事が他の人の負担になってるかもしれないし、居場所が残ってるのか不安……」

 

「不安になるのも分かるけど、この前退院したばかりで、まだ治療続けてるんだから、仕事のことは今考えなくてもいいんじゃない? それよりも、早く体調戻して、元の生活送れるようにならないと」

 

「そうだね。今考えても仕方ないもんね」

 

明にはそう言ったものの、1日中ベッドの上で満足に動けない生活を送っていると、どうしても先のことを考えてしまう。復職後、1年のブランクを抱えて今まで通りやっていけるか心配になる。それに、当たり前だと思っていた結婚もできないかもしれないと思うと気持ちが落ち込む。子供を産めないという、人とは違うことが欠点のように感じられ、今までの自分とは変わってしまったように感じる。

 

抗がん剤治療の辛い時期を乗り越え、体は順調に回復していったものの、心のどこかは常に痛みを訴えていた。

 

手術後、ようやく外に出られるようになると、自分で買い出しに行けるようになり、明の負担を減らすことができた。それでも週末は必ず会いに来て話し相手になってくれている。

 

外に出られるようになったといっても、今まで体を動かしていなかったので、ゆっくりとしたペースでないと歩けず、駅前のスーパーまで行くのも一苦労だ。買い物をするのも時間がかかり、家に帰る道のりが長く遠く感じられる。買い物帰りはマンション付近の公園で休憩しないと体力が持たない。

 

平日の昼下がりの公園には、砂場や遊具で遊ぶ幼児や、井戸端会議を開いている母親達、ベビーカーを押している妊婦など、子連れが目立つ。ベンチに座って眺めていると、ピンクのボールが足元に転がってきた。足で止めると、2歳ぐらいのツインテールの女の子が走ってきて、その後ろを自分とあまり年齢が変わらなさそうな母親が追いかけてきた。

 

「どうぞ」

 

ボールを拾って女の子に渡すと、小さな手でしっかりと抱き止めた。

 

「あいがと」

 

まだ拙いしゃべり方が可愛らしい。

 

「すいません、ありがとうございます」

 

女の子の肩に手を乗せて、お母さんが頭を下げる。

 

「いいえ。かわいいですね」

 

「おてんば娘で困ってるんですよ」

 

眉を下げて言うが、どこか誇らしそうに見える。

 

「お姉さんにありがとうした?」

 

「うん」

 

「上手に言えてたよね」

 

そう言うと、女の子は母親の後ろに隠れてしまった。母親は、すいません、失礼しますと言うと、女の子の肩に手を添えて遊具の方に去って行った。

 

頬に手を当て、上手く笑えていたか確認する。だが、笑うどころかいつの間にか涙がこぼれていて、頬が濡れている。

 

「あれ、何で? おかしいな……」

 

何度も目元を拭うが、次から次へと溢れてくる。遊んでいる子供達、声を上げて笑っている母親達、ベビーカーを押して歩く妊婦、視界に入っていた人達が涙で滲んでいき、歪んでいく。顔を覆って、肩を震わせながら嗚咽を噛み殺し、心の中で泣き声を上げる。

 

この先、自分には経験できないことを、この人達は普通に経験して、幸せそうな笑顔を浮かべている。

 

病にさえならなければ、こんな惨めな思いをしないですんだのに。

 

どうして私なの? あまりにも辛い。体の痛みよりも心の痛みの方が苦しく、耐え難い。

 

帰宅後、せっかく買ってきた食材を調理する気力も起きず、呆然とベッドに横たわる。スマートフォンで「子供 産めない 苦しい」と、つい検索してしまう。愚痴をこぼし、共感したり、批判したりするサイトや、経験談をつづっているブログなどを斜め読みしながら、ネットサーフィンを続けていると、同じ病気で結婚後に子宮を摘出した女性のブログをみつけた。ブログの主は、自分はこの人に救われたと、ある女性を紹介していた。

 

その女性はファッションブランドのCEOでありながら、病で心も傷ついた女性たちをサポートしたり、親から虐待を受けている子供たちのケアをするNPO法人の代表でもある大原(おおはら)めぐみという人物だった。

 

《大原さんは、20代で子宮がんと診断され、子宮摘出手術を行いました。子供が好きで、結婚願望の強かった大原さんは、子供が産めないという現実に精神的に追い詰められてしまったそうです。

 

ところが、大原さんのお姉さんの子供が通うある幼稚園での教育理念を聞いて、考え方が変わったそうなのです。その園では、すべての人間は神様の子供で、全員が神様の愛を受けるために生まれてきた、だからみんな愛される存在なんだということをまず教えます。愛されていることを実感した上で、神様、お友達を愛することは自然なことだとして、他人に優しくできる子供になれるという教育をしているそうです。

 

この理念を知ってはっとさせられた大原さんは、自分自身も神様から愛されていて、自分の子供は産めなくても、多くの子供たちを愛することのできる気持ちを与えてくださったのだと気持ちが変わったといいます。そして、傷ついた女性や、虐待を受けている子供たちのサポートをするNPO法人を設立しました。

 

大原さんはある雑誌のインタビューでこんなことを話されていました。

 

「NPOの活動を通して、大勢の子供と接し、心のケアをしたり、里親に出したりしてきたことで、大勢の子どもの親になることができました。どんな子でも愛おしいと思えるんです。だから私は自分の子どもが産めないからといって寂しくありません」

 

こんなふうに言えるなんてかっこいいですよね。私は大原さんのNPO法人に助けられて、今、強く生きることができています》

 

ブログを読み終わると、スマートフォンを伏せて顔を覆う。

 

どうして自分だけが辛い目に合うのか、どうして女性として生まれたのに妊娠、出産ができないのかと、卑屈になっていた気持ちが恥ずかしくなった。

 

大原さんのインタビューで語っていた内容をもう一度読む。

 

どんな子でも愛おしいと思える。

子供が産めないからといって寂しくない。

 

今の自分にはまだ辿り着けない境地だけど、いつかこんなふうに思えるようになりたい。

手術後、光に包まれるなか聞こえた囁き声が思い出される。

 

「よく頑張った。私の愛する子よ、この先もあなたなら乗り越えられる」

 

体の痛みだけでなく、心の痛みも乗り越えられると神様が信じて、そう仰ってくださったのだと思う。このブログを見つけたこともお導きだったのだろう。

 

神様は私のことを信じてくれて、愛してくれている。神様に愛されている自分を、私自身が愛して、体の変化を受け止めよう。

 

まず自分が愛されている実感をしてこそ、人を愛し、本当の意味で為に生きることができるんだ。

 

人の為に生きて、時には為に生きてもらって、お互いが尊重しあえば平和が訪れ、愛と幸せを感じることができるのかもしれない。

 

神様、神様、神様……!

愛してくださり、ありがとうございます!

神様に愛されている自分を愛します!

 

そして、人を愛し、為に生きる人生を歩みます!

神様、見ていてください。

 

神様に愛をお返しできる神の子となります。

神様、感謝します! 愛しています!

 

握りしめた震える両手の上に、温かい涙がポタポタ落ちていく。神様と呼ぶたびに、胸の内が熱くなり、感謝の思いが溢れて涙となって流れていく。こんなにも温かく、情熱的に神様にお祈りするのは初めてだった。

 

公園で流した涙を流すことはもうない。これからは、神様の為に、人の為に、涙を流す自分でありたい。