題目:「恨みなき人生こそ勝利の秘訣」 ―ヨセフ路程1
説教者:柴沼邦彦
<内容紹介>
アブラハムの家庭では、アブラハム、イサク、ヤコブを通して家庭的メシヤの基台は立ちましたが、その家庭的基台を民族的な基台として、内的な伝統を打ち立てて行った中心人物がヨセフでした。
今回は、聖書の中のヨセフを中心としたお話をします。
<み言> 1985年8月20日「神と自由」晩餐会より
神と自由委員会の名誉議長と委員の皆様、国中からお集まりいただきました牧師の皆様、神士淑女の皆様。
牢獄から出てまいりました私を、アメリカ合衆国の各地を代表し、また多くの宗派を代表してこのように盛大に歓迎していただきましたことを心から感謝するとともに、恐縮する次第です。私はまた、法廷闘争中、最高裁への法廷助言書の提出の際に、宗教の自由を守る会議と大会、祈祷会、同苦会、カウサ牧師同盟において、私を支援してくださった皆様に心からの感謝を申し上げたいと思います。また、私がダンベリーにいる間に、私のために祈ってくださり、多くの手紙を下さいましたことに感謝申し上げます。私は決してこのことを忘れないでしょう。
私は、人生において六回の投獄を経験しました。過去もそうでありましたが、今回の牢獄においても、神との感動的な体験がありました。私がそこにいたのは、私の個人的行為や過失によるものではありませんでしたが、私を迫害した人々を恨んだり憎んだりする思いをもったり、また私の無罪を申し立てることに牢獄での時間を費やしたのでもありません。私は、世界に対する神のみ旨を成就するためには、アメリカが何をなさなければならないかということを理解するため、祈りと瞑想に時間を捧げてきたのです。
私の全宣教生活と生涯の根底にある決意は、神の大きく長く続いた苦しみを取り去ることです。世の中が神の苦しみの心情に対して無知なるがゆえに、私の仕事と統一教会の仕事は長い間誤解され迫害されてきました。しかし、神のみ前に私の使命は切迫していることを知っていたので、一般大衆、キリスト教会、国家、あるいは全世界は言うに及ばず、私の家庭から理解されなくとも、これらの迫害は、私にとって大したものではありませんでした。