モーセとイエスを中心とする復帰摂理3

第三節 イエスを中心とする復帰摂理

 

天使を主管すべきであったアダム(コリントⅠ六・3)が、堕落することによって逆にサタンの主管を受け、地獄をつくったのであるから、これを蕩減復帰するために、後のアダムとして来られるイエスは、あくまでも自分自身でサタンを屈伏させて、天国を復帰しなければならないのである。しかし、既に第一節において詳しく述べたように、神の前にも屈伏しなかったサタンが、イエスと信徒たちに従順に屈伏するはずはないのであるから、神は人間を創造された原理的な責任を負われ、ヤコブとモーセを立てられて、将来イエスがサタンを屈伏することができる表示路程を見せてくださったのであった。

ヤコブはサタンを屈伏させる象徴的路程を歩んだのであり、モーセはサタンを屈伏させる形象的路程を、そして、イエスはその実体的路程を歩まなければならなかったのである。それゆえに、イエスは、モーセがサタンを屈伏していった民族的カナン復帰路程を見本として、サタンを屈伏させることによって、世界的カナン復帰路程を完遂しなければならなかったのである。

申命記一八章18節に神はモーセに対して「わたしは彼らの同胞のうちから、おまえのようなひとりの預言者を彼らのために起して、わたしの言葉をその口に授けよう。彼はわたしが命じることを、ことごとく彼らに告げるであろう」と言われたみ言の中で、モーセのような一人の預言者と言われたのは、とりもなおさず、モーセのような路程を歩まなければならないイエスについて話されたのである。そしてヨハネ福音書五章19節を見れば、イエスは、神のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないと記録されているのであるが、これは、イエスが、神がモーセを立てられて見せてくださった表示路程を、そのまま歩まれるということを言われたのであった。詳細なことは、既にモーセを中心とする復帰摂理において論じたのであるが、モーセを中心とする三次の民族的カナン復帰路程と、イエスを中心とする三次の世界的カナン復帰路程の全体的な輪郭を比較対照しながら、イエスを中心とする復帰路程を論じてみることにしよう。

 

 

(一) 第一次世界的カナン復帰路程 

(1) 信 仰 基 台

第一次世界的カナン復帰路程において、「信仰基台」を復帰しなければならなかった中心人物は、洗礼ヨハネであった。それでは、洗礼ヨハネはいかなる立場から、その使命を完遂しなければならなかったのであろうか。モーセを中心とする民族的カナン復帰路程において、モーセが石板を壊したことと、また磐石(岩)を二度打ったことは、将来イエスが来られるとき、彼を中心とするユダヤ民族が不信に陥るならば、石板と磐石の実体であられるイエスの体を打ち得るという条件を、サタンに許す表示的な行動になったということについては、既にモーセ路程で論及したところである。

それゆえに、イエスがこの条件を避けるには、彼の降臨のための基台をつくっていく選民たちが、将来来られるメシヤの形象体である神殿を中心として、一つにならなければならなかったのである。ところが、イスラエル民族は、常に不信仰の道を歩むようになり、将来来られようとするイエスの前に、サタンが侵入し得る条件を成立させてきたので、このような条件を防いで新しい摂理をするために、預言者エリヤが来て、バアルの預言者とアシラの預言者とを合わせて、八五〇名を滅ぼすなど(列王上一八・19)、サタン分立の役割をして昇天したのであった(列王下二・11)。しかし、エリヤの全体的な使命は、全部が全部は成就できなかったので、この使命を完遂するために、彼は再臨しなければならなかったのである(マラキ四・5)。このように、エリヤが果たし得なかったサタン分立の使命を担ってこれを完遂し、メシヤの道を直くするために(ヨハネ一・23)、エリヤとして来た預言者が、洗礼ヨハネであった(マタイ一一・14、マタイ一七・13)。

イスラエル民族がエジプトで四〇〇年間、だれ一人導いてくれる預言者もなく、苦役を続けてきたその途上で、彼らを民族的にカナンの地へ引率し、メシヤを迎えさせる人物として、神はモーセを送られるようになった。これと同じように、ユダヤ人たちも、マラキ預言者以後メシヤ降臨準備時代の四〇〇年の間、だれ一人導いてくれる預言者もなく、ペルシャ、ギリシャ、シリヤ、ローマなどの異邦人たちによって苦役を強いられる生活を送る途上において、ついに世界的カナン復帰のために来られるメシヤの前に、彼らを導くことができる人物として、洗礼ヨハネを送られたのであった。

エジプト苦役四〇〇年間の「サタン分立基台」の上に立っていたモーセが、パロ宮中で忠孝の道を学んだように、メシヤ降臨準備時代の四〇〇年間の「サタン分立基台」の上に立っていた洗礼ヨハネは、荒野でいなごと野蜜とを食べながら、メシヤを迎えるために、天に対する忠孝の道を立てたのであった。それゆえに、祭司たちをはじめとして(ヨハネ一・19)、ユダヤ人たちはみな、洗礼ヨハネがメシヤではないかとまで思うようになったのである(ルカ三・15)。洗礼ヨハネは、このようにして「四十日サタン分立基台」を立てたので、第一次世界的カナン復帰のための「信仰基台」をつくることができたのであった。

 

(2) 実 体 基 台

洗礼ヨハネは、モーセと同じ立場に立てられていたので、ユダヤ民族に対して、父母と子女という二つの立場に立っていたのであった。ところで、彼は父母の立場から、第一次世界的カナン復帰のための「信仰基台」を蕩減復帰したので、同時に彼は、子女の立場から、「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるに当たっての、アベルの立場をも確立することができたのであった(本章第二節(一)(2))。したがって、洗礼ヨハネは、モーセがパロ宮中において四十年間の蕩減期間を送ったのち、第一次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を立てたその立場を、世界的な規模で打ち立て、その土台の上に立つようになったのである。

モーセのとき神は、イスラエル民族に、モーセがエジプト人を打ち殺すのを見せ、彼を信ぜしめることによって「出発のための摂理」をなさろうとした。そのときには、イスラエル民族が、サタン国家であるエジプトを出発し、カナンの地に入らなければならなかったのであるが、洗礼ヨハネを中心とするユダヤ民族の場合には(サタン国家である)ローマ帝国を離れて他の地方に移動してはならず、その政権下にいながら彼らを屈伏させその帝国を神の国として復帰しなければならなかった。そこで神は、洗礼ヨハネを中心とする数々の奇跡を見せてくださることにより、ユダヤ人たちが彼を信ずるように仕向けることによって、「出発のための摂理」を成就しようとなさったのである。

それゆえに、洗礼ヨハネの懐胎に関する天使の驚くべき予告と、また、その父親がこれを信じなかったとき、唖になってしまった奇跡、そして、彼が生まれたときに見せてくださった奇跡などによって「近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、聞く者たちは皆それを心に留めて、『この子は、いったい、どんな者になるだろう』と語り合った。主のみ手が彼と共にあった」(ルカ一・65、66)といわれた聖書のみ言のように、イスラエル民族は、洗礼ヨハネが生まれたときから、彼を神がお送りになった預言者であると認めていたのである。そればかりでなく、荒野でいなごと野蜜とをもって命をつなぎながら、祈りの生活をした彼の輝かしい修道の生活により、祭司たちと(ヨハネ一・19)一般のユダヤ人たちが(ルカ三・15)、彼をメシヤだと誤認するぐらいに彼の信望は高かったのである。

モーセが、パロ宮中四十年の蕩減期間を終えて、エジプト人を殺害したとき、イスラエル民族が彼の愛国心に感動し、彼を信じ彼に従ったならば、彼らは紅海を渡り、荒野を迂回しなくてもよかったし、また石板とか、幕屋とか、契約の箱なども必要なく、ペリシテの近道を通って、まっすぐにカナンの地に入れたはずであった。このように、イエス当時のユダヤ人たちも、神の奇跡をもって信仰の対象者として立ててくださった洗礼ヨハネを信じ、彼に従ったならば、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を復帰することにより、「メシヤのための基台」を復帰することができたのであった。

 

(3) 第一次世界的カナン復帰路程の失敗

ユダヤ人たちは、洗礼ヨハネが立てた「信仰基台」の上に、彼をメシヤのように信じ、彼に従う立場にいたので(ヨハネ一・19、ルカ三・15)、彼らは旧約時代を清算して、世界的カナン復帰の新しい路程を出発することができたのである。ところが、既に前編の第四章第二節において詳しく論じたように、洗礼ヨハネは自らイエスをメシヤとして証したのにもかかわらず、彼を疑うようになり(マタイ一一・3)、また、自分がエリヤとして来たのにもかかわらず、それを知らずに否認して(ヨハネ一・21)、ユダヤ人たちがイエスの前に出ていく道をふさいだばかりでなく、彼らがイエスに逆らうような立場にまで押しやったのである。これによって洗礼ヨハネは、「実体基台」を立てるに当たってのアベルの位置を離れたために、ユダヤ人たちは、「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てることができなかったのである。このようにして、ユダヤ人たちが「実体基台」を立てることができなくなった結果、「メシヤのための基台」を造成することができなくなったために、第一次世界的カナン復帰路程は失敗に終わることとなり、これもモーセのときと同じく、二次から三次まで延長されたのである。

 

 

(二) 第二次世界的カナン復帰路程 

(1) 信 仰 基 台

① イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する

洗礼ヨハネは、完成したアダムとして来られたイエスに対しては、復帰されたアダム型の人物であった。ゆえに洗礼ヨハネは、そのときまでの摂理歴史上において、「信仰基台」と「実体基台」とを復帰するために来たすべての中心人物たちが完遂できなかった使命を、完全に成就して、「メシヤのための基台」をつくらなければならなかったのである。そして、この基台の上で彼を信じ、彼に従うユダヤ民族を導いて、全体的な摂理の基台と共に、イエスに引き渡したのち、信仰と忠誠をもって彼に従い彼に侍るべきであった。

洗礼ヨハネは、自分でも知らずに行ったことではあったが、ヨルダン河でイエスにバプテスマを行ったということは(マタイ三・16)、自分が神のみ旨のために今まで築きあげてきたすべてのものを、イエスの前に引き渡すという一種の儀式だったのである。

ところがその後、洗礼ヨハネは次第にイエスを疑うようになり、イエスに逆らうようになったため、洗礼ヨハネをメシヤのように信じて従ってきた(ルカ三・15)ユダヤ人たちは、自然にイエスを信じないという立場に陥らざるを得なかったのであった(前編第四章第二節)。したがって、洗礼ヨハネが第一次世界的カナン復帰路程のために立てた「信仰基台」はサタンの侵入を受けてしまった。それゆえ、やむを得ず、イエス自身が洗礼ヨハネの使命を代理して、「信仰基台」を蕩減復帰することにより、第二次世界的カナン復帰路程を出発するほかはなかったのである。イエスが荒野で四十日間断食をされながら、サタンを分立されたのは、とりもなおさず、洗礼ヨハネの代理の立場で、「信仰基台」を蕩減復帰されるためであった。

イエスは神のひとり子であり、栄光の主として来られたのであるから、原則的にいえば、苦難の道を歩まれなくてもよいはずなのである(コリントⅠ二・8)。ところが、そのイエスの道を直くするための使命を担って生まれてきた洗礼ヨハネ(ヨハネ一・23、ルカ一・76)が、その使命を完遂できなかったために、洗礼ヨハネが受けるべきであったはずの苦難を、イエス自身が代わって受けなければならなかったのであった。このようにイエスは、メシヤであられるにもかかわらず、洗礼ヨハネの代理に復帰摂理路程を出発されたという事情のために、ペテロに向かい、自分がメシヤであるという事実をユダヤ人たちに証してはならぬと言われたのである(マタイ一六・20)。

 

② イエスの荒野四十日の断食祈祷と三大試練

我々はまず、イエスの四十日断食祈祷と三大試練に対する、その遠因と近因について知っておく必要がある。民族的カナン復帰路程において、磐石(岩)の前に立っていたモーセが不信に陥り、それを二度打ったために、イエスを象徴するその磐石(岩)(コリントⅠ一〇・4)は、サタンの侵入を受けてしまったのであった。それは、後日、メシヤとして来られ、モーセ路程を見本として歩まなければならないイエスの路程においても、イエスの道を直くするために来るはずの洗礼ヨハネが不信に陥るようになれば、磐石であられるイエスの前にサタンが侵入し得るということの、表示的な行動となってしまったのである。したがって、この行動はメシヤより先に来るはずの洗礼ヨハネを中心とする「信仰基台」にも、サタンが侵入し得るということの、表示的な行動ともなったのであった。それゆえに、磐石を二度打ったモーセの行動は、とりもなおさず、洗礼ヨハネが不信に陥るようになったとき、その「信仰基台」を復帰するために、イエス御自身が洗礼ヨハネの代理の立場で荒野に出ていかれ、四十日断食と三大試練を受けなければならなくなった遠因となったのである。

事実においても、洗礼ヨハネが不信に陥ったために(前編第四章第二節(三))、彼が立てた「信仰基台」にサタンが侵入したのであるが、これが近因となって、イエスは自ら洗礼ヨハネの立場で、「四十日サタン分立基台」を立てることによって「信仰基台」を蕩減復帰するために、荒野における四十日断食と三大試練を受けなければならなかったのである。

それでは、サタンが三大試練をするようになった目的は、どこにあったのだろうか。マタイ福音書四章1節から10節を見ると、サタンはイエスに石を示しながら、それをパンに変えてみよと言ったとあり、また、彼を宮の頂上に立たせてそこから飛びおりてみよと言い、さらに最後には、彼を非常に高い山に連れていき、もしひれ伏して自分を拝むならば、この世のすべてのものをあげようと言うなど、三つの問題をもってイエスを試練したのであった。その目的はどこにあったのであろうか。

初めに神は人間を創造し給い、その個性の完成、子女の繁殖、および被造世界に対する主管など、三つの祝福をされた(創一・28)。それゆえに、人間がこれを完成することが、すなわち、神の創造目的なのである。ところが、サタンが人間を堕落させて、この三つの祝福を成就することができなかったために、神の創造目的は達成されなかったのである。それに対してイエスは神が約束されたこの三つの祝福を復帰することによって、神の創造目的を成就するために来られたのであるから、サタンは祝福復帰への道をふさぐため、その三つの試練をもって、創造目的が達成できないように妨げようとしたのであった。

それでは、イエスはこの三大試練をいかに受け、またいかに勝利されたのであろうか。我々はここにおいて、まずサタンが、いかにしてイエスを試練する主体として立ち得るようになったか、ということについて知らなければならない。モーセを中心とする民族的カナン復帰路程において、イスラエルの不信とモーセの失敗により、サタンがイエスと聖霊とを象徴する二つの石板と磐石とを取るようになったため、サタンは、モーセを中心とするイスラエルに対して主体的な立場に立つようになったという事実を、我々は既に明らかにしたはずである。ところが、世界的カナン復帰路程に至り、サタンを分立してメシヤの行くべき道を直くする使命者として来た洗礼ヨハネ(ヨハネ一・23)が、その責任を完遂できなくなり、モーセのときと同じく、イスラエル民族が再び不信仰と不従順に陥るようになったために、神が既にモーセ路程で予示されたように、サタンは、イエスを試練する

主体的な立場に立つようになったのであった。それではここで、その試練のいきさつを、更に詳しく追ってみることにしよう。

イエスが荒野で四十日の断食を終えられたとき、サタンがその前に現れて、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」(マタイ四・3)と試練してきた。ここにはいかなる事情があるのだろうか。まずモーセが荒野で「四十日サタン分立基台」の上におかれていた石板を壊し、磐石を二度打ったという行動、および、洗礼ヨハネの不信の結果、その石をサタンが所有するようになったので、これを再び取り戻すため、イエスは荒野に出ていかれ、四十日間断食してサタンを分立しなければならなかった。サタンは、イエスがこのように石を取り戻すために、荒野に出てこられたということをよく知っていたのである。したがって、その昔、民族的なカナン復帰のための荒野路程において、イスラエルの祖先たちが飢餓に打ち勝つことができず、不信に陥って、石をサタンがもつようになったのと同じく、今、世界的カナン復帰のための荒野路程におかれているイエスも、彼らと同様、飢餓の中にいるのであるから、次第に不信に陥って、その石を取り戻そうとする代わりに、それをパンに変えて飢えをしのぐようになれば、その石はサタンが永遠に所有しつづけることができるという意味だったのである。

この試練に対するイエスの答えは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ四・4)というみ言であった。元来、人間は、二種類の栄養素によって生きるように創造された。すなわち、自然界より摂取する栄養素によって肉身を生かし、神の口から出るみ言によって霊人体を生かすようになっているのである。ところが堕落人間は、神のみ言を直接受けられなくなってしまったために、ヨハネ福音書一章14節に記録されているように、神のみ言が肉身となって地上に来られたイエスのみ言によって、その霊人体が生きていくようになっているのである。ゆえに、ヨハネ福音書六章48節を見ると、イエスは「わたしは命のパンである」と言われ、それに続いて、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ六・53)とも言われたのであった。それゆえに、人間がパンを食べてその肉身が生きているとしても、それだけで完全に生きているとはいえない。その上に、神の口から出るみ言が肉身と化して、あらゆる人間の命の糧となるために来られたキリストによって生きない限りは、完全な人間となることはできないのである。

ところで、モーセが石板の根である磐石を二度打ったことによって、その石は、サタンの所有となったのである。このようにサタンのものとなったその石は、まさしく、モーセが失ったその磐石(岩)であり、また、その石板でもあったために、その石は結局、サタンの試練を受けているイエス自身を象徴するものであった。これは、黙示録二章17節に、石をキリストとして象徴し、またコリントⅠ一〇章4節に「岩はキリストにほかならない」と記録されているのを見ても、明らかに理解することができるのである。それゆえに、サタンの最初の試練に応じたイエスの答えは、要するに、私が今いくらひどい飢えの中におかれているとしても、肉身を生かすパンが問題ではなく、イエス自身がサタンから試練を受けている立場を勝利して、すべての人類の霊人体を生かすことができる、神のみ言の糧とならなければならないという意味であった。したがって、この試練は、イエスが洗礼ヨハネの立場でもって試練を受けて勝利することにより、個性を完成したメシヤの立場を取り戻す試練であった。このような原理的立場からみ旨に対しておられたイエスの言行に、サタンは敗北したのであった。そして、イエスがこの最初の試練に勝利して、個性を復帰することができる条件を立てられることによって、神の第一祝福の復帰の基台をつくられたのである。

つぎにサタンは、イエスを宮の頂上に立たせて、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(マタイ四・6)と言った。ところでヨハネ福音書二章19節から21節を見ると、イエスは、御自身を神殿と言われたのであり、また、コリントⅠ三章16節には、信徒たちを神の宮と、そしてまた、コリントⅠ一二章27節では、信徒たちをキリストの肢体であると言っているのである。それらを見ると、イエスは本神殿であり、信徒たちはその分神殿であるという事実を、我々は知ることができる。このように、イエスは神殿の主人公として来られたのであるから、サタンもその位置を認めなければならなかったので、イエスを宮の頂上に立たせたのであった。そして、そこから飛びおりるようにと言ったのは、主人公の位置から下りて堕落人間の立場に戻るならば、自分がイエスの代わりに神殿主管者の位置を占領するという意味だったのである。

これに対してイエスは、「主なるあなたの神を試みてはならない」(マタイ四・7)と答えられた。元来、天使は、創造本然の人間の主管を受けるように創造されたために、堕落した天使は、当然イエスの主管を受けなければならないのである。それにもかかわらず、天使が、イエスの代わりに神殿主管者の立場に立とうとすることは、非原理的な行動であるということはいうまでもない。それゆえに、このような非原理的な行動をもって、原理的な摂理をなさる神の体であられるイエスを試練することによって、神を試練する立場に立つなどということはあり得べからざることなのである。そればかりでなく、イエスは、既に、第一次の試練に勝利し、個性を復帰した実体神殿として、神殿の主人公の立場を確立されたのであったから、サタンの試練を受けるべき何らの条件もないので、今はイエス自身を試練しないで退けという意味であった。このようにして、第二の試練に勝利することによって、本神殿であり、新郎であり、また人類の真の親として来られたイエスは、すべての信徒たちを、分神殿と新婦、そして子女の立場に、復帰することができる条件を立てて、神の第二祝福の復帰の基台を造成されたのであった。

つぎにサタンは、イエスを非常に高い山に連れていき、世のすべての国々とその栄華とを見せながら「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイ四・9)と試練した。元を探れば、アダムは堕落することによって、万物世界に対する主人公としての資格を失い、サタンの主管を受けるようになったからこそ、サタンがアダムの代わりに、万物世界の主管者として立つようになったのである(ロマ八・20)。ところが、完成したアダムの位置で来られたイエスは、コリントⅠ一五章27節に、万物をキリストの足もとに従わせたと記録されているみ言のように、被造世界の主管者であったのである。したがって、サタンもこのような原理を知っていたために、イエスを山の上に連れていき、万物の主人公の立場に立たせてから、初めにアダムがサタンに屈伏したように、第二のアダムであるイエスも、サタンに屈伏せよという試練であった。

これに対してイエスは、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」(マタイ四・10)と答えられた。天使は、もとより仕える霊(ヘブル一・14)であって、自己を創造された神を崇拝し、神に仕えるようになっていたのである。したがって、堕落した天使であるサタンも、彼を拝し彼に仕えるのが原理であるために、サタンは当然、創造主、神の体として現れたイエスにも屈伏して、彼を拝し彼に仕えるのが原理であるとイエスは答えられたのであった。しかもイエスは、既に二度の試練に勝利し、神の第一、第二の祝福を復帰し得る基台を造成しておられたので、その基台の上に神の第三祝福を復帰して、万物世界を主管するのが当然であったから、既に勝利の基台の上に立っている万物世界に対しては、それ以上試練を受けるべき余地がないという意味をもって原理的に答えられたのである。このように、イエスは第三の試練にも勝利され、被造世界に対する主管性を復帰し得る条件を立てることによって、神の第三祝福に対する復帰の基台を造成されたのであった。

 

③ 四十日断食と三大試練とをもってサタンを分立した結果

創造原理によれば、人間は正分合の三段階の過程を経て、四位基台をつくって初めて、神の創造目的を成就するようになっているのである。ところが、人間はその四位基台をつくっていく過程において、サタンの侵入を受け、創造目的を成就することができなかったために、神は、今までの復帰摂理路程を、これまた、三段階まで延長しながら、「四十日サタン分立基台」をつくることによって、失ったすべてのものを蕩減復帰しようとされたのである。ところで、イエスはメシヤであられると同時に、洗礼ヨハネの立場で三段階の試練に勝利され、「四十日サタン分立基台」を立てられたので、これによってイエスは、神の復帰摂理の歴史路程を通して、三段階に摂理を延長しながら、「四十日サタン分立基台」によって奪い返そうとした、次のようなすべての条件を、一時に蕩減復帰することができたのであった。すなわち、第一に、イエスは洗礼ヨハネの立場で、第二次世界的カナン復帰のための「信仰基台」を蕩減復帰されたので、そのときまでの摂理路程において、「信仰基台」をつくるために立てようとされた、すべてのものを蕩減復帰することができたのである。すなわち、カインとアベルの献祭、ノアの箱舟、アブラハムの献祭、モーセの幕屋、ソロモンの神殿などを蕩減復帰されたのであった。それだけでなく、イエスは、アダム以後四〇〇〇年間の縦的な歴史路程を通じて「信仰基台」を復帰するに当たって、その中心人物たちの失敗によって失うに至ったすべての「四十日サタン分立基台」を、横的に一時に蕩減復帰することができたのである。すなわち、ノアの審判四十日、モーセの三次の四十年期間と二次の四十日断食、偵察四十日、イスラエルの荒野路程四十年、そして、ノアからアブラハムまでの四〇〇年、エジプト苦役四〇〇年などをすべて蕩減復帰されたのであった。

第二にイエスは、洗礼ヨハネの立場からメシヤの立場に立つための「信仰基台」を造成したので、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられたのである。したがって、イエスは献祭に成功した実体であられると同時に、また、石板、幕屋、契約の箱、磐石、神殿の実体としても、立つことができるようになったのであった。

 

(2) 実 体 基 台

イエスは、人類の真の親として来られ、洗礼ヨハネの立場で「四十日サタン分立基台」を蕩減復帰されたので、父母の立場に立って「信仰基台」を復帰すると同時に、子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的蕩減条件」を立てるに当たってのアベルの位置をも確立されたのであった。したがって、イエスはモーセがミデヤンの荒野で四十年間の蕩減期間を送ることによって、第二次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を造成した立場を、世界的に蕩減復帰した立場に立つようになったのである。

モーセを中心とする第二次民族的カナン復帰路程においては、三大奇跡と十災禍とによってその「出発のための摂理」をされた。ところがその後、第三次民族的カナン復帰路程においては、イスラエル民族の不信によってその摂理は無為に帰してしまったので、エジプトにおける三大奇跡と十災禍とを蕩減復帰するために、「幕屋のための基台」の上で、石板と幕屋と契約の箱の三大恩賜と十戒を立てることにより、「出発のための摂理」をされたということは、既に、モーセ路程で明らかにしたはずである。ところでイエスは、石板と幕屋と契約の箱との三大恩賜と十戒の実体であられるから、第二次世界的カナン復帰路程においては、イエス自身がみ言と奇跡とをもってその「出発のための摂理」をされたのであった。したがって、カインの立場におかれていたユダヤ民族が、この「出発のための摂理」によって洗礼ヨハネの使命を担い、アベルの立場に立っていたイエスを信じ、彼に仕え、彼に従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができるようになっていたのである。もしこのようになったならば、イエスは、この基台の上で、洗礼ヨハネの立場からメシヤとしての立場に上がるようになり、すべての人類は、彼に接がれて(ロマ一一・17)、重生し、原罪を脱いで神と心情的に一体となることによって、創造本性を復帰し、地上天国をつくることができたはずであったのである。

 

(3) 第二次世界的カナン復帰路程の失敗

洗礼ヨハネの不信によって、第一次世界的カナン復帰摂理が失敗に終わったとき、イエスは、洗礼ヨハネの使命を代理して、自ら荒野四十日の苦難を受けられて、第二次世界的カナン復帰のための「信仰基台」を蕩減復帰されたのである。ところで、既に述べたように、三大試練においてイエスに敗北したサタンは、一時イエスを離れたのであった(ルカ四・13)。サタンが一時イエスを離れたというのは、永遠に離れてしまったということを意味するのではなく、逆に、再びイエスの前に現れることができるということを暗示しているのである。果たして、サタンは、不信に陥った祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族、特に、イエスを売った弟子、イスカリオテのユダを通して、再びイエスの前に現れて、対立したのであった。

このようにユダヤ民族の不信によって、第二次世界的カナン復帰路程のための「実体基台」はつくり得なくなり、それに伴ってこの摂理のための「メシヤのための基台」もまた造成することができなくなったために、第二次世界的カナン復帰路程は、これまた失敗に終わってしまったのである。

 

 

(三) 第三次世界的カナン復帰路程 

(1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程

第三次世界的カナン復帰路程に関する問題を論ずるに当たって、まず知っておかなければならないことは、これが第三次民族的カナン復帰路程とどのように異なっているかということである。既に、前もって詳しく論及したように、第三次民族的カナン復帰路程におけるイスラエル民族の信仰の対象は、メシヤの象徴体である幕屋であった。それゆえに、イスラエル民族がみな不信に陥ったときにも、この幕屋だけは、モーセが断食四十日期間をもって立てた「幕屋のための信仰基台」の上に立っていたのであり、モーセまでが不信に陥ってしまったときも、それは、モーセが立てた「信仰基台」をもとに、ヨシュアがモーセの使命を代理して偵察四十日のサタン分立期間を通じて造成した「幕屋のための基台」の上に立って、終始一貫してみ旨を信奉してきたヨシュアを中心として、そのまま立ちつづけてきたのである。ところが、世界的カナン復帰路程におけるユダヤ民族の信仰の対象は、幕屋の実体として来られたイエスであったので、その弟子たちまでが不信に陥ってしまうと、もうその信仰を挽回する余地はなく、イエスが、「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と言われたみ言のとおり、その肉身は十字架につけられ、死の道を歩まなければならなくなったのである。このように、ユダヤ民族は、霊肉を併せた信仰の対象を失った結果、第三次世界的カナン復帰路程は、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、直接、実体の路程としては出発することができず、したがって、第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが復活されたイエスを、再び信仰の対象として立てることをもって、まず、霊的路程として出発するようになったのである。イエスが「この神殿(イエス)をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」(ヨハネ二・19)と言われた理由は、ここにあったのである。そうして二〇〇〇年間信仰を続けているうちに、あたかもヨシュアがモーセの使命を継承して、第三次民族的カナン復帰を完成したように、イエスは、再臨されることによって、初臨のときの使命を継承され、第三次世界的カナン復帰路程を、霊肉併せて完成されるようになるのである。我々は、このような復帰摂理路程を見ても、イエスが、初臨のときと同じく、肉体をもって再臨されなければ、初臨のときに成就なさろうとされた復帰摂理の目的を受け継いで、完遂することができないということが分かってくるのである。

 

① 霊的な信仰基台

ユダヤ民族がイエスに逆らうことにより、第二次世界的カナン復帰路程は失敗に終わったので、イエスが洗礼ヨハネの立場で四十日の断食をもって立てられた「信仰基台」は、サタンに引き渡さなければならなくなってしまったのである。それゆえに、イエスが十字架によってその肉身をサタンに引き渡したのち、霊的洗礼ヨハネの使命者としての立場から、四十日復活期間をもってサタン分立の霊的基台を立てることにより、第三次世界的カナン復帰の霊的路程のための、霊的な「信仰基台」を復帰されたのである。イエスが十字架で亡くなられたのち、四十日の復活期間を立てられるようになった理由はここにあったということを知る人は、今日に至るまで一人もいなかったのである。それではイエスは、霊的な「信仰基台」を、どのようにして立てられたのであろうか。

イエスがメシヤとして現れるときまで、神はユダヤの選民たちと共におられた。しかし彼らが、メシヤとして現れたイエスに逆らいはじめた瞬間から、神は彼ら選民たちを、サタンに引き渡さざるを得なくなったのである。それゆえ、神はイスラエルの民から排斥されたひとり子イエスと共に、選民を捨て、それから顔を背けざるを得なかったのである。しかし、神がメシヤを送られたその目的は、選民をはじめとして全人類を救おうというところにあったので、神は、イエスをサタンに引き渡してでも、全人類を救おうとされたのである。また、サタンは、自分の側に立つようになった選民をはじめとする全人類を、たとえ、みな神に引き渡すようになったとしても、メシヤであるイエスだけは殺そうとしたのである。その理由は、神の四〇〇〇年復帰摂理の第一目的が、メシヤ一人を立てようとするところにあったので、サタンはそのメシヤを殺すことによって、神の全摂理の目的を破綻に導くことができると考えたからである。こうなると、神は、イエスに反対してサタンの側に行ってしまった、ユダヤ民族をはじめとする全人類を救うためには、その蕩減条件としてイエスをサタンに引き渡さざるを得なかったのである。

サタンは、自己の最大の実権を行使して、イエスを十字架で殺害することによって、彼が四〇〇〇年の歴史路程を通じて、その目的としてきたところのものを、達成したことになったのである。このように、イエスをサタンに引き渡された神は、その代償として、イスラエルをはじめとする全人類を救うことができる条件を立て得るようになられた。それでは神は、どのようなやり方で罪悪人間たちを救うことができたのであろうか。サタンが、既にその最大の実権を行使してイエスを殺害したので、蕩減復帰の原則により、神にも最大の実権を行使し得る条件が成立したのである。ところで、サタンの最大の実権行使は、人間を殺すことにあるのであるが、これに対して神の最大実権行使は、あくまでも死んだ人間を、再び生かすところにある。そこで、サタンがその最大の実権行使をもって、イエスを殺害したことに対する蕩減条件として、神もまた、その最大の実権を行使されて、死んだイエスを復活させ、すべての人類を復活したイエスに接がせ(ロマ一一・24)、彼らを重生させることによって救いを受けられるようにされたのである。

しかし、我々が聖書を通してよく知っているように、復活されたイエスは、十字架にかけられる以前、その弟子たちと共に生活しておられたイエスと全く同じイエスではなかったのである。彼は、既に、時間と空間とを超越したところにおられたので、肉眼をもっては見ることのできない方であった。彼は、弟子たちが戸を締めきっていた部屋の中に、突然現れたかと思うと(ヨハネ二〇・19)、エマオという村へ行く二人の弟子の前に突然現れて、長い間同行された。しかし彼らは、近づいてこられたイエスと一緒に歩きながらも、彼がだれであるかを知らなかったのであり(ルカ二四・15、16)、このように現れたイエスはまた、忽然としてどこかに去ってしまわれたのである。イエスは、すべての人類を救われるために、その肉身を供え物として十字架に引き渡されたのち、このように復活四十日のサタン分立期間をもって、霊的な「信仰基台」を立てられることにより、万民の罪を贖罪し得る道を開拓されたのである。

 

② 霊的な実体基台

イエスは、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な復活「四十日サタン分立基台」を造成なさることにより、霊的な真の父母の立場でもって霊的な「信仰基台」を復帰すると同時に、また、霊的な子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるための、霊的なアベルの位置をも確立されたのである。そのようにして、イエスは、モーセがイスラエル民族を導いて荒野流浪の四十年蕩減期間を送ることにより、第三次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を造成したように、第三次世界的カナン復帰のための、霊的な「信仰基台」を造成することができたのである。

モーセのときには、「幕屋のための基台」を立てることによって「出発のための摂理」をされた。しかし、復活されたイエスは、ガリラヤに四散していた弟子たちを呼び集められて、自身が石板と幕屋と契約の箱との霊的な実体となられ、弟子たちに一切の奇跡の権威を授けられることによって(マタイニ八・16〜18)、「出発のための摂理」をされたのである。

ここにおいて、カインの立場に立っていた信徒たちは、この「出発のための摂理」により、霊的な洗礼ヨハネ使命者として、霊的なアベルの立場におられる、復活されたイエスを信じ、彼に仕え、彼に従って、「堕落性を脱ぐための霊的な蕩減条件」を立てることにより、「霊的な実体基台」を復帰することができたのである。

 

③ メシヤのための霊的な基台

イエスが十字架で亡くなられたのち、取り残された十一人の弟子たちはみな力を失って、四方に散らばってしまっていた。ところが、イエスは復活されるとまた、彼らを再びひとところに集められ、霊的カナン復帰の新しい摂理を始められたのである。弟子たちは、イスカリオテのユダの代わりにマッテヤを選んで、十二弟子の数を整え、復活されたイエスを命を懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。すなわち、使徒行伝二章1節から4節にかけて記録されているように、五旬節に聖霊が降臨

されてのち、復活されたイエスは霊的な真の父として、霊的な真の母であられる聖霊と一つになって摂理されることにより、信徒たちを霊的に接がしめて、霊的に重生せしめる摂理をされて、霊的救いの摂理だけを成就するようになられたのである(前編第四章第一節(四))。したがって、イエスが復活した圏内では、サタンの霊的讒訴条件が清算されているので、それは霊的面におけるサタンの不可侵圏となっているのである。

堕落人間は、キリストを信ずることによって、彼と一体となるとしても、キリスト自身がそうであったと同様に、その肉身はサタンの侵入した立場におかれているので、肉的救いは依然として全うされずに、そのまま残るようになったのである。しかしながら、我々が復活したイエスを信ずれば、彼と共に霊的にはサタンの不可侵圏内に入るようになるから、サタンの霊的讒訴条件を免れ、霊的救いのみが成就されるようになるのである。

 

④ 霊的カナン復帰

キリスト教信徒たちは「メシヤのための霊的基台」の上で霊的メシヤとして立たせられたイエスを信じ侍ることによって、霊的カナン復帰だけを完成するようになった。それゆえに、霊的カナン復帰の恵沢圏内にいる信徒たちの肉身は、ちょうど十字架によってサタンの侵入を受けたイエスの肉身と同じ立場に立つようになるので、(肉身の面から見れば)イエスが来られる前の状態と異なるところがなく、サタンの侵入を受けることにより、原罪は依然として元のままに残っているので(ロマ七・25)、信徒たちもまた、キリスト再臨のための、サタン再分立の路程を歩まなければならなくなったのである(前編第四章第一節(四))。

モーセを中心として摂理された、民族的カナン復帰路程における幕屋理想は、今や復活されたイエスの霊的実体神殿を中心として、世界的に形成されるようになった。その至聖所と聖所とは、それらが象徴しているところのイエスと聖霊、あるいは、イエスの霊人体と肉身が霊的実体というかたちでその理想を成就したのであり、贖罪所の理想は、イエスと聖霊との働き(役事)によって成就され、そこに神が現れて語られるようになったのである。それゆえに、神のみ言が語られるその贖罪所においては人間始祖が堕落したのち、その前をふさいでいたケルビムを左右に分かち、契約の箱の中に入っている生命の木であられるイエスを迎えて、神が下さるマナを食べ、芽を出したアロンの杖でもってそのしるしを見せてくださった神の権威を現すようになるのである(ヘブル九・4、5)。このようにイエスの十字架とその再臨は、モーセの路程を通じてみても、決して、それが既に決まった摂理ではなかったということが分かるのである。

 

(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程

第三次世界的カナン復帰路程が、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、実体路程をもって出発することができず、霊的路程として出発するようになった理由については、既に前節で述べたとおりである。「メシヤのための霊的な基台」の上で、霊的メシヤとしておられるイエスを信じ、彼に従うことをもって出発した第三次世界的カナン復帰の霊的摂理は、二〇〇〇年の悠久なる歴史路程を経て、今日、世界的にその霊的版図を広めるようになった。

それゆえ、あたかもモーセの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである(後編第六章第二節(二)参照)。

しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。

それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。

しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であると見なされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。

それゆえに、再臨主がいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、彼が立てられる実体的な「信仰基台」の上で、彼を絶対的に信じ、彼に従い、彼に侍る信徒たちが集まって、第三次世界的カナン復帰の実体路程のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成することによって「メシヤのための実体的な基台」をつくるようになることは確かである。

第三次民族的カナン復帰路程において、モーセのときには、磐石を中心とする「出発のための摂理」をするようになっていたのであるが、ヨシュアのときには、磐石よりももっと内的なそのわき水を中心とする「出発のための摂理」をされたのであった。これと同じく、イエスも初臨のときには奇跡をもって「出発のための摂理」をされたが、再臨のときには、それが内的なものとなった、み言を中心として「出発のための摂理」をされるのである。なぜなら、既に前編第三章第三節(二)において論及したように、み言をもって創造された人間が(ヨハネ一・3)、堕落によってみ言の目的を成就することができなかったのであるから、神はこの目的を再び完遂なさるためには、「み言」の外的な条件を立てて復帰摂理をなさり、摂理歴史の終末に至って、「み言」の実体であられるイエス(ヨハネ一・14)を再び送られて、「み言」を中心とする救いの摂理をなさらなければならないからである。

神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。そして、最初に神の二性性相の形象的な実体対象として創造されたアダムとエバは、神の第一の実体対象として、人類の父母となるのである。それゆえに、彼らが夫婦となって子女を生み殖やし、父母の愛と夫婦の愛、そして子女の愛を表し、父母の心情と夫婦の心情、そして子女の心情によって結ばれる家庭をつくるようになっていたのであるが、これがすなわち三対象目的をなした四位基台であったのである(前編第一章第二節(三)参照)。

このように、神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33、ヨハネ八・44)。それゆえ、人間始祖は神と血縁関係を断ちきられた立場に陥ってしまったのであるが、これがすなわち堕落である(前編第二章参照)。

それゆえに、神の復帰摂理の目的は、このように神との血統関係が断たれてしまった堕落人間を復帰して、神の直系の血統的子女を立てようとするところにあるのである。我々は、このような神の復帰摂理の秘密を聖書から探してみることにしよう。

先に論じたように、堕落して殺戮行為をほしいままにしたアダム家庭は、神との関係を断たれてしまったのである。しかし、ノアのときに至って、その二番目の息子であり、アベルの立場におかれていたハムの、その失敗によって、神と直接的な関係を結ぶところにまでは行かれなかったが、それでもノアが忠誠を尽くした基台があったので、僕の僕(創九・25)としての立場に立つことができ、神と間接的な関係を結ぶことができたのである。これがすなわち、旧約前の時代における神と人間との関係であった。

信仰の父であるアブラハムのときに至り、彼は、「メシヤのための家庭的な基台」をつくって、神の選民を立てたので、彼らは初めて神の僕の立場に復帰することができた(レビ二五・55)。これがすなわち、旧約時代における神と人間との関係であった。イエスが来られてのち、洗礼ヨハネの立場でもって立てられた、その「信仰基台」の上に立っていた弟子たちは、初めて、旧約時代の僕の立場から、養子の立場にまで復帰されたのである。彼らが神の直系の血統的子女となるためには、イエスに絶対的に服従して「実体基台」をつくることにより、「メシヤのための基台」を造成し、その基台の上に立っているイエスに、霊肉併せて接がれることによって(ロマ一一・17)、彼と一体とならなければならなかったのである。

イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリーブである堕落人間を接がせるために、善いオリーブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。

しかし、弟子たちまでが不信に陥ったために、イエスは、洗礼ヨハネの立場から、一段上がってメシヤの立場に立つことができないままに、十字架で亡くなられたのである。それゆえ、復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、復活四十日のサタン分立期間をもって霊的な「信仰基台」を立てられたのち、悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、霊的な「実体基台」が立てられた結果、そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が造成されたのである。そしてついにこの霊的な基台の上に霊的メシヤとして立たれるようになったイエスに、霊的に接がれることによって、初めて信徒たちは、霊的な子女としてのみ立つようになったのであるが、これがすなわち、イエス以後今日に至るまでの霊的復帰摂理による神と堕落人間との関係であった。それゆえに、イエス以後の霊的復帰摂理は、あたかも神が霊界を先に創造されたように、そのようなかたちの霊的世界を、先に復帰していかれるのであるから、我々堕落人間はまだ、霊的にのみしか、神の対象として立つことができないのである。したがって、いくら信仰の篤いキリスト教信徒でも肉的に継承されてきた原罪を清算することができないままでいるので、サタンの血統を離脱できなかったという点においては、旧約時代の信徒たちと何ら異なるところがないのである(前編第四章第一節(四))。このように、キリスト教信徒たちは、神と血統を異にする子女であるので、神の前では養子とならざるを得ないのである。かつてパウロが、聖霊の最初の実をもっている私たち自身も、嘆いて養子とせられんことを待ち望んでいると言った理由も、実はここにあったのである(ロマ八・23)。

それゆえに、イエスは、すべての人類を、神の血統を受けた直系の子女として復帰するために、再臨されなくてはならないのである。したがって、彼は初臨のときと同じように、肉身をもって地上に誕生され、初臨のときの路程を再び歩まれることによって、それを蕩減復帰されなければならない。それゆえに、先に既に論じたように、再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。

それゆえに、イエスは初臨のときに「メシヤのための家庭的な基台」の中心人物であったヤコブの立場を蕩減復帰なさるために、三人の弟子を中心として十二弟子を立てられることによって、家庭的な基台を立てられたのであり、また、七十人の門徒を立てられることによって、その基台を氏族的な基台にまで広めようとされたように、彼は、再臨される場合においても、その「メシヤのための基台」を、実体的に家庭的なものから出発して、順次、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的なものとして復帰され、その基台の上に、天国を成就するところまで行かなければならないのである。

神は、将来、イエスが誕生されて、天国建設の目的をいちはやく成就させるために、第一イスラエル選民を立てることによってその土台を準備されたのであったが、彼らがそれに逆らったので、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立てられたように、もしも、再臨イエスの天国建設の理想のために第二イスラエルとして立たせられたキリスト教信徒たちが、またもや彼に背くならば、神はやむを得ず、その第二イスラエル選民をも捨てて新しく、第三イスラエル選民を選ばれるほか、致し方はないのである。それゆえに、終末に処しているキリスト教信徒たちは、イエスの初臨当時のユダヤ民族と同じく、最も幸福な環境の中におりながらも、また一方においては、最も不幸な立場に陥るかもしれない運命の岐路に立たされているとも考えられるのである。

 

 

(四) イエスの路程が見せてくれた教訓

 

第一に、ここにおいても、み旨に対する神の予定が、どのようなものであるかということを見せてくださった。神はいつでもそのみ旨を絶対的なものとして予定され、それを成就していくために、洗礼ヨハネがその使命を完遂し得なかったとき、メシヤとして来られたイエス御自身が、その使命を代理されてまでも、その目的を達成しようとされたのであったし、またユダヤ人たちの不信によって地上天国が立てられないようになったとき、イエスは再臨されてまでも、そのみ旨を絶対的に成就しようとなさるのである。

つぎに、選ばれたある個人、あるいは、ある民族を中心とするみ旨成就に対する神の予定は絶対的なものでなく、相対的なものであるということを見せてくださった。すなわち神は復帰摂理の目的を達成されるために、ある人物、または、ある民族を立てられたとしても、彼らが自己の責任分担を完遂することができないときには、必ず新しい使命者を立てられて、その使命を継承させたのであった。すなわち、イエスは彼の第一の弟子として洗礼ヨハネを選ばれたのであるが、彼がその責任を完遂し得なかったために、その代わりとしてペテロを選ばれた。また、イスカリオテのユダを十二弟子の一人として選んだのであるが、彼が責任を全うし得なかったとき、彼の代わりにマッテヤを選ばれたのである(使徒一・26)。また、復帰摂理の目的を達成なさるためにユダヤ民族を選ばれたのであったが、彼らがその責任を全うすることができないようになったとき、その使命を、異邦人たちに移されたのであった(使徒一三・46、マタイ二一・33〜43)。このようにいくらみ旨成就のために選ばれ

た存在であっても、彼を中心とするみ旨の成就は、決して絶対的なものとして予定なさることはできないのである。

つぎに神は、人間の責任分担に対しては干渉されず、その結果だけを見て主管されるということを見せてくださった。洗礼ヨハネやイスカリオテのユダが不信に陥ったとき、神はそれを知らなかったはずはなく、またそれを止め得ないはずもなかったのであるが、彼らの信仰に対しては一切干渉されず、その結果だけを見て主管されたのである。

つぎに、大きい使命を担った人物であればあるほど、彼に対する試練もまたそれに比例して大きいということをも見せてくださった。アダムが不信に陥り、神を捨てたために、後のアダムとして来られたイエスが、その復帰摂理の目的を成就されるためには、アダムの代わりに神から捨てられた立場をもって信仰を立て、その堕落前の立場を蕩減復帰しなければならなかったのである。それゆえにイエスは、荒野において、サタンの試練までも受けなければならなかったのであり、また、十字架上で神から見捨てられるということまで体験されなければならなかったのである(マタイ二七・46)。