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今にも雨が降りだしてきそうなどんよりとした曇り空の土曜日。まるで今の自分の気分を表しているかのような空を見上げて、小さく息を吐き出す。スマートフォンの地図アプリを頼りに、最寄り駅から徒歩10分の産婦人科クリニックを目指して行く。アプリのおかげで迷うことなく目的地にたどり着き、自動ドアを通り抜けていく。

院内は明るいクリーム色で、子供向け音楽のオルゴール曲が流れていて、一般の病院より落ち着いた雰囲気だった。受付を済ませた後、お腹の大きな妊婦たちが数名座っている待合室に通された。私もいつか子供を産むのかなと想像しようとするが、上手くできない。もし、不正出血の原因ががんだったら、子供を産むことができるのだろうか。胸の内がざわつく。妊娠のことなど想像できないが、もしものことを思うと不安がどんどん増していく。気を紛らわせようとスマートフォンを取り出した時、受付で渡された診察券の番号を呼ばれ、診察室に案内された。

 

室内には、柔らかい雰囲気の60代後半に見える男性医師と、仏頂面のベテラン感漂う看護師がひとりいた。医師から不正出血が始まった時期や、出血量などを詳しく聞かれた後、子宮内の診察や、血液検査などをされた。結果はまた2週間後に出ると言われ、結果が出るまでの間、モヤモヤした不安感と、がんだったらどうしようという焦燥感を抱えながら過ごすことになった。

 

2週間後、大学受験の合格発表以来の緊張感で息苦しいほどの動悸に見舞われながら再び産婦人科クリニックを訪れた。診察室に通されると、以前来院した時と同じ男性医師と看護師がいて、医師が柔らかい雰囲気の親しみやすい笑顔で椅子を勧めてきた。

 

「あれから、体調はどうですか?」

 

「特に、変わってないです。不正出血もありますし」

 

「そうですか。……今日は、検査結果の説明でしたよね」

 

医師は、机の上にあるカルテに目を落とす。表情が固くなっていき、嫌な予感がする。仏頂面の看護師に何やら指示を出すと、看護師はカーテンで仕切られている裏手側へ消えていった。こちらに向き直った医師に、落ち着いた声で名前を呼ばれる。

 

「林さん」

 

「はい」

 

握りしめた両手に手汗が滲んでくる。

 

「調べた結果、子宮がんだということが分かりました」

 

「あ、はい。子宮がん、ですか」

 

上手く言葉の意味が飲み込めないまま声が発せられた。あれほど気にしていた単語なのに、実際に言われると脳が処理するまで時間がかかる。

 

裏手側に行っていた看護師がいつの間にか戻ってきて、子宮がんに関する資料をそっと手渡される。医師から子宮がんについての説明や、今後の治療方法、手術のことなどを説明されるが、その場で理解できたのはほんのわずかで、子宮摘出手術をして抗がん剤治療を受ければ直ると言われたことは頭の片隅に残った。子宮がんや、手術、治療についての資料を色々渡され、今日はショックが大きいだろうからと、今後の詳しいことはまた次回にと言われ、診察室を後にした。

 

それからどうやって家に帰ったのか記憶が曖昧で、いつの間にかコンビニで夕飯のパスタとサラダとデザートのプリンを買って、気付いたらパスタを口に運んでいた。好きなペペロンチーノのはずなのに、味がしない。サラダも、プリンも食べてみたが、ただ口を動かして胃に運んでいるだけのようで、半分減ったところで嫌になってしまった。

 

クリニックからもらってきた資料に手を伸ばし、手術方法が書かれたページに目を通す。子宮摘出手術の説明を読むが、内容があまり入ってこない。この手術を受けて子宮を取り出してしまったら、もう子供は産めない。子供を産む想像もできなかったが、産めなくなる想像もできなかった。資料をベッドに放り投げ、胸のなかにたまっているモヤモヤを吐き出すように大きく息を吐き出す。それでもまだ重苦しいモヤモヤは居座り続け、その日の夜もなかなか寝付けなかった。

 

週明け、職場では今の自分とは正反対のおめでたい雰囲気に包まれていた。同期の女性社員が妊娠を、後輩の女性社員が結婚を報告し、他の社員に交ざってなんとか笑顔を浮かべておめでとうと言うことができた。だが、帰宅すると昨日から留まり続けているモヤモヤに心も体も取り込まれていき、表面張力で保たれていたコップの縁から水が溢れだすかのように、次から次へと冷たい涙が頬を伝っていった。

 

どうして、私だけ女性の幸せを奪われないといけないの?

 

私もあの人達みたいに幸せな顔をして、いつかは、結婚、妊娠を報告できると思っていたのに……。

 

人の為に生きることを実践してきたのに、どうして神様はこんな残酷なことをするんだろう。

 

神様は私を愛してくれていないの……?

 

「神様! どうして……」

 

頭を垂れて泣きながら苦痛の声を絞り出す。

 

苦しい、悲しい、辛い。

負の感情ばかりが込み上げてくる。

 

誰かに聞いてもらいたくて、あかりの顔が思い浮かぶ。スマートフォンを手繰り寄せ、明の連絡先を表示し、電話をかける。

 

「もしもし? かなえ?」

 

明のいつもどおりの柔らかい声にすがりつきたくなるが、嗚咽に邪魔をされて言葉にならない。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

 

焦りの混じった声に何か言わなきゃと思うものの、上手く声が出せない。

 

「今、家?」

 

「……うん」

 

「すぐ行くから、待ってて!」

 

電話が切られ、画面上部の時計の表示を見ると、22:30となっていた。明は隣駅に住んでいるとはいえ、明の家からうちまで30分はかかる。いくら話を聞いてもらいたかったとはいえ、こんな時間に来てもらうのはあまりにも甘えすぎたのでは、と徐々に冷静になっていった。為に生きる実践をしていながら、結局、自己中心的な行動をとってしまう。明への罪悪感から自分を責め立ててしまう。

 

がんになったのは、自己中心的な思いを捨てきれていなかったから、神様が罰を与えたんだ。

 

私が神の子になりきれなかったからだ。

 

親不孝者を、神様が愛してくださるはずがない。

 

どんどんマイナスな方向に思考が走っていく。

 

膝を抱えて、嗚咽を漏らしなからうずくまっていると、チャイムが鳴って、自分の名前を呼ぶ明の声が聞こえた。のろのろとした動作で立ち上がり、ドアを開ける。よっぽどひどい顔をしていたのか、明が驚いた顔をして、慌てた様子で室内に入ってきた。

 

「どうしたの? 何があったの?」

 

リビングに入り、床に腰を下ろすと、明も隣に座り、肩にそっと手を添えてくれた。

 

「ごめん、こんな時間に……」

 

「気にしないで。来たくて来たんだから」

 

「……明、私……」

 

がんを打ち明けようとするが、肝心な言葉が喉につっかえて出てこない。言おうとすると涙が溢れてきて、まともに明の顔を見ることもできない。明は何も言わず、背中をさすってくれる。ベッドの上に放っておいた子宮がんの資料を握りしめ、明に見せる。

 

「これ」

 

「えっ? これって……」

 

息をのむ明の顔を、涙を拭って見ると、口許に当てた手が震え、目が潤んでいき、涙が次から次へとこぼれ落ちていった。

 

「叶!」

 

明に抱きつかれ、驚いたものの、温かい体温に凍りついていた心が溶けていくようだった。

 

「苦しいよね。辛いよね。一人で抱え込まないで、話してくれてありがとう」

 

震える声とは逆に強く抱きしめる腕が頼もしく、明にしがみついて声を上げて泣きじゃくった。

 

しばらく2人で涙を流し、落ち着いてきた頃、明の腕の中から出た。気恥ずかしさで顔が火照ってしまう。2人してティッシュで涙を拭いて鼻をかみ、顔を見合わせる。明は深刻そうな面持ちだが、ひとりの時よりはだいぶ気持ちが軽くなり、弱々しくも笑みを浮かべることができた。

 

「明、ありがとう」

 

「できることがあったら何でもするから、遠慮しないで言って。辛い時はいつでも呼んでね」

 

「うん」

 

明の優しさに、今度は嬉し涙が出てきそうになる。目尻を拭って、膝を抱える。

 

「こんな時間に来てもらってごめん。何で私だけこんな目に合うの、神様は愛してくれてないの、私が自己中心的で神の子になれないから罰を与えたのかな、とか、ネガティブな方にばかり考えちゃって……」

 

「辛いよね。ネガティブになっちゃうよね。でも、人間はみんな神の子だよ。それに、叶は為に生きる実践頑張ってたじゃん。自己中心的じゃないよ。神様は病気を与えたくて与えたんじゃないと思う。神様は叶のこと愛して、信じてくれてるし、叶が病気を乗り越えていけるようにいつだって見守ってくださってるよ。だから、叶も神様を信じてみて」

 

明の言葉がすとんと胸の内に入ってきた。

 

試練、困難にぶつかった時に、愛してくださっている神様を信じて立ち向かう、ああ、信仰ってこういうことなんだ。絶望の淵でも神様を信じていけば、行き着く先にはきっと神様の愛があるはず。

 

明の言葉に気付かされ、マイナス思考に陥っていたことが申し訳なくなった。今なら神様に素直に気持ちを打ち明け、病に立ち向かうことができそうだ。

 

「明、ありがとう。神様を信じて、手術頑張るよ」

 

「応援してる! 私も手術が成功することお祈りするからね」

 

自分のことのように涙を流して、励ましてくれる明の存在が、暗闇に差す一筋の光のように輝いて見える。神様に、明と出会わせてくれてありがとうございます、と改めて感謝を伝え、手術に向き合う覚悟ができますように、と素直な気持ちで祈ることができた。