聖和・葬儀のとき

聖和について

家庭連合では、「死」を「聖和」(ソンファ)としています。人が亡くなり、地上での人生に幕を閉じる時に「葬儀」を行いますが、私たち家庭連合では「聖和式」を行います。
真の父母様のみ言によれば、「死」はすべての終わりではなく、霊界での新しい人生の出発の時です。創造理想を完成した祝福家庭は、死後、肉身を脱いで霊人体となれば、本然の愛の世界である霊界(天上天国)で神様(天の父母様)とともに永生するようになります。したがって、「聖和式」は別れや悲しみの式ではなく、子女の誕生を祝う「奉献式」、結婚を祝う「祝福式」と並ぶ、人生第三の祝賀式とも言える重要な儀式なのです。
また、「死」は神聖なものなので、自分なりの考えや事情で人為的に寿命を来たらせることはできません。神様(天の父母様)だけが生命の創造者であり、私たち人間は神様からいただいた肉身と霊人体を管理している立場です。ですから、人間自身の手で肉身を破壊することは認められないというのが「統一原理」の立場です。

 

聖和式

「聖和式」の起源は、神のみ旨のために全体蕩減を負って逝かれた文興進様の「昇華」(1984年1月2日)と「世界昇華式」(同月8日)が基になっており、以後、祝福家庭の葬儀として行われている葬送儀礼です。その意味で、「昇華式」は真の父母様が興進様とともに切り開いてくださった、真の家庭からの貴重な恩恵と言えます。
その後、2011年11月18日付けで、「昇華式」は「聖和式」に、「元殿式」は「原殿式」に名称が変更されました。

 

 

聖和式の意義

一般社会の葬式は、地上生活の最後を告げる悲しい儀式と認識されてきました。しかし、それは人類始祖の堕落によって、本来、神様から賦与された真の生命の意味が分からなくなったからです。
聖和式は、霊人体が肉身を離れて新しい生に出発する、祝賀の儀式とも言えます。地上の生活圏から離れるという意味で、寂しさや名残惜しさはありますが、聖和式は他の儀式と同様に美しく輝き、喜ばしいものであるのです。
真のお父様は、1984年1月7日、ベルベディアで興進様の「昇華式の重要性」について、次のように語られました。

私は、私たちの運動と教会の伝統を定める、実にはっきりした声明をしようと思います。
世の中においては、死は生命の終わりを意味します。しかし、私たちの世界においては、死は、別の世界に入っていくための再生あるいは新生のようなものです。特に、天国実現の目的のために、またその運動のために生命を捧げる人は、特別のヒーローです。
ですから、私たちはそのようなときに陰鬱になったり、悲しくなったり、がっかりしてはいけません。その代わりに、使命に捧げた生命をもつ霊人体の勝利を喜びましょう。
もし、私たちが地上において、とても悲しんだり、陰鬱になったりすれば、、それは天国へ昇っていっている人を地上にひきずり下ろしているようなものです。
このことは、赤ちゃんが一番目の母の胎から生まれるように、二番目の宇宙的母の胎から別の世界へ誕生することです。
昇華式は、実際のところ、男性と女性が結婚する結婚式に匹敵するものです。それは、少しも悲しい場面ではありません。それは、虫が繭を出て、束縛から自由になって、新しい身体、新しい存在、新しい実体になるようなものです。まさに同じ過程です。
私たちの生活のしかたや伝統において、無形世界と有形世界は一つであり、それまでの理想に従って生きることによって、私たちは、二つの世界を一つにするのです
」。

 

聖和に関する一連の礼式

聖和後の葬送は、次の三つの礼式が中心となり、進められます。

  1. 聖和者が直系の家族を離れて天国に帰っていく「帰歓式」
  2. 天国に昇っていく聖和者の霊魂のために行われる「聖和式」
  3. 聖和者の肉身が本殿(墓地)に定着する「原殿式」

これらを総称して「聖和式」と呼ぶこともあります。

<聖和に関する一連の礼式>
臨終祈祷

入殿式(入殿礼拝)

帰歓式

聖和式

原殿式

三虞祭と三日追慕礼拝

追慕礼拝(3日、21日、40日、100日、周年)

※仏式でいうと「臨終祈祷」は「枕経」、「入殿式」は「納棺式」、「帰歓式」は「通夜」、「聖和式」は「告別式」、「原殿式」は「埋葬、納骨」、「三日追慕礼拝」は「初七日法要」、「追慕礼拝」は「四十九日・回忌法要など」に当たります

 

家庭連合の聖和式に参列するとき

「家庭連合の聖和式に参列するとき」のページをご参照ください。